ルールの普及

日本麻雀はその黎明期にあっては厳格なルールが適用されていませんでした。しかし時代が下るにつれて徐々に中国のルールが知られるようになり、特に林の活躍もあって、当時の文豪を介したルール整理が進みました。文豪の中には菊池寛や久米正雄が含まれています。因みに日本麻雀ではチョンチョンという言葉が知られていますが、これは林がチャオパンを紹介した時に定着したものです。整理が進むのと並行して、麻雀に関する組織も立ち上げられることになりました。その一つが東京麻雀会で、四谷を中心に普及活動に当たりました。普及に向けた彼らの情熱は本物で、華族を相手に無料で教授したと伝えられています。  組織の活動と共に出版でも麻雀を取り上げることが増え、北野という人物が大正時代に「麻雀の遊び方」を著しました。現代で言うところのルールブックに当たるもので、読者は麻雀の虜になったと言われています。ゲームの解説本としては異例の10万部を達成したというのですから驚きです。この流れに乗ったのは、何も日本人ばかりではありませんでした。外国人も麻雀の普及に尽力したのです。当時の有名な雑誌である「婦人画報」には、シー・デホーヤの麻雀紹介文が掲載されています。彼女の自宅には多くの女性が集まり、麻雀に興じたとされているのです。大正時代に女性が麻雀を楽しんでいたというのは意外ですが、当時の様子を写した写真まで残っています。  麻雀ブームは止まるところを知らず、遂にはサンデー毎日のような一般紙にまで登場するようになりました。室内で遊べるゲームの筆頭に麻雀が挙げられているくらいですから、急速に人口に膾炙したことが分かります。特に関東大震災以降は大衆のストレス解消に大きく貢献し、昭和以降の更なる流行に繋がりました。

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